日本三大○○など、3つの名数の一覧。
目次
土地
林鵞峰(1618~1680, 京都, 儒者、林羅山の子)が「日本国事跡考」の中で提唱。
松島
宮城県松島町、東松島市、塩釜市、七ヶ浜町。
約260の島々からなる多島海およびリアス海岸。また、松島四大観という修景地点があり、壮観、麗観、幽観、偉観からなる。
「松島や ああ松島や 松島や」という句は、実は松尾芭蕉のものではない。
京都府宮津市。
松並木の砂州が天にかかる橋のように見える。飛龍観、雪舟観、一字観、斜め一文字などの修景地点がある。
股のぞきでも知られる。
宮島
広島県廿日市市。
正式には厳島(いつくしま)という。
海岸にある厳島神社の社殿と大鳥居は干潟の上につくられており、満潮時には海に浮かんでいるように見える。
1996年世界文化遺産登録。
石川県金沢市。
加賀藩5代藩主の前田綱紀(1643~1724)が1676年に造営。
宏大・幽𨗉・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える庭園として命名された。
雪吊(雪で枝が折れないように樹木の枝を吊るすこと)でも知られる。
宏大・幽𨗉(ゆうすい)・人力(じんりょく)・蒼古・水泉・眺望
それぞれ、「広く大きいこと」「奥深く物静かなこと」「人の手が加わっていること」「自然そのままのこと」「水辺」「きれいな見晴らし」の意味。中国
北宋時代の書物「
洛陽名園記」にちなんで
松平定信が
命名した。
後楽園
岡山県岡山市。
岡山藩2代藩主の池田綱政(1638~1714)が1687年に造営。
中国の言葉「先憂後楽」(常に民に先立って国の心配をし、民が楽しんだ後に自分が楽しむ=為政者の心得)に由来する。
茨城県水戸市。
水戸藩9代藩主の徳川斉昭(1800~1860、徳川慶喜の父)が1842年に造営。
3000本以上の梅で有名。民と「偕(とも)に楽しむ」という意味を込めて命名された。また、梅の別名、好文木にちなんだ好文亭というあずまやがある。
山形県を流れる。
山形県と福島県の県境にある吾妻山に源を発し、日本海に注ぐ。
松尾芭蕉の俳句に「五月雨を あつめて早し 最上川」と詠まれる。
1つの県を流れる川としては最長である。
「もがみ」は「珍しい岩石が多いところ」の意味、またはアイヌ語で「静かなる神」を意味するモー・カムイに由来するとされる。
日本三大清流
高知県を流れる。
高知県の不入山に源を発し、太平洋に注ぐ。
四国最長の川。
「日本最後の清流」と称される。
沈下橋でも有名。
静岡県を流れる。
静岡県清水町を源流とし、狩野川に合流する。
長さはわずか1.2km。
川そのものが天然記念物に指定されている。
日本三大暴れ川
群馬県、埼玉県、千葉県、茨城県を流れる。
群馬県三国山脈の大水上山に源を発し、茨城県と千葉県の間を流れ太平洋に注ぐ。
別名「坂東太郎」。
流域面積日本一、長さは日本2位。
鎌倉幕府、北条氏、江戸幕府など、時の権力者が大規模な河川改修工事を行った。特に、江戸時代には東京湾に注いでいた本流を日本海に注ぐように移すという大規模な工事が、関東代官の伊奈氏によって行われた。
長野県、岐阜県、愛知県、三重県を流れる。
長野県の鉢盛山を源流とし、伊勢湾に注ぐ。
三川のうちもっとも東にある。
愛知県犬山市付近の渓谷はヨーロッパのライン川にちなんで日本ラインと呼ばれる。
岐阜県、三重県を流れる。
岐阜県の冠山を源流とし、伊勢湾に注ぐ。
三川でもっとも西にある。
支流には養老の滝がある。
関西弁イントネーションと共通語イントネーションの境目でもある。
養老の滝
孝行者の樵が父に酒を飲ませたいと思っていると、滝の水が酒に変わり、それを飲ませると父が若返った」という伝説がある。これにちなんで717年、
元正天皇は
元号を
養老に定めた。
栃木県日光市にある、利根川水系の大谷川の滝。
落差97m。男体山の噴火によって中禅寺湖がせき止められてできた。
奈良時代の僧侶勝道が仏教経典の華厳経から名付けた。
1903年、一高生の藤村操が遺書「巌頭之感」を残して自殺、後を追うものが相次ぎ、自殺の名所として知られるようになった。
日本三名泉
万里集九(ばんりしゅうく, 1428~?, 禅僧・歌人)が提唱。
兵庫県神戸市。
三名泉のなかでも日本一といわれる。
温泉の成分によって金泉・銀泉と呼ばれる。
日本書紀などに記述があるほか、清少納言、豊臣秀吉などが滞在したといわれる。
群馬県草津町。湧出量日本一。
「恋の病以外は全て効く」というほどの薬湯といわれる。
湯もみでも有名。
日本三古泉
白浜温泉
和歌山県白浜町。
別名牟婁の湯(むろのゆ)。
歴代の天皇が多く訪れた。
純粋な石英からなる白い砂浜白良浜もあり、付近はリゾート地となっている。
京浜工業地帯
東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県に及ぶ。
印刷業が盛ん。
日本三大奇景
大分県中津市。
山国川の上流にある渓谷。
渓谷沿いには青の洞門があることでも知られる。
青の洞門
禅海という僧侶が、30年以上かけて鑿で掘り出したトンネル。
菊池寛の小説「
恩讐の彼方に」の題材となった。
(ただし、「
恩讐の彼方に」の中では僧侶の名は了海となっている。)
日本三大天空の城
3城とも山頂にあり、雲海が発生すると雲の上に城が浮かんでいるように見えることから。
岩手県岩泉町。
地底湖が多く、その水は名水百選にも選ばれている。
領内の都市部の行政・司法を司る役職。
奉行所(北町奉行所と南町奉行所があった)に駐在した。
大岡忠相(おおおかただすけ, 1677~1752, 通称大岡越前)や遠山金四郎景元(とおやまきんしろうかげもと, 1793~1855, 「遠山の金さん」のモデル)が有名。
代官の監督、および年貢の徴収、幕府の財政を司る。
小栗忠順(おぐりただまさ, 1827~1868, 幕府の近代化を進める)が有名。
村形三役
地方三役(じかたさんやく)ともいう。
名主
庄屋、肝煎ともいう。
役割は村民・土地の管理、上意下達など。
武士よりも裕福なものが多くいたという。
百姓代
その名の通り百姓の代弁者であり、名主の不正を監視する役割であった。世襲であった名主や組頭と異なり、村民から選ばれるものだった。
1732年、将軍徳川吉宗の時代。
西日本で、悪天候やウンカの虫害による凶作が原因となって発生。死者数は最低でも12000人。米価高騰によって享保の打ちこわしが発生した。
幕府は対策として、青木昆陽(1698~1769, 東京都, 蘭学者, 「甘藷先生」とよばれた)に救荒作物としてサツマイモを普及させた。
1782~1788年。将軍徳川家治の時代。
岩木山や浅間山の噴火、海外ではアイスランド・ラキ火山の火山灰で日射量が減少したことや、エルニーニョ現象による冷害も原因となった。東北を中心に発生し、死者数は90万人以上。
人々は困窮して人肉食におよんだ。諸藩も大きな被害を受けたなか、白河藩主松平定信は迅速かつ適切な対応で餓死者を一人も出さなかったため、老中に抜擢され、寛政の改革を進めることとなる。
1833~1839年。
東北を中心に、洪水や冷害が原因となって発生。冷害にはニカラグア・コシグイナ火山の火山灰との関連性も指摘されている。死者数は幕府領だけで20~30万人。
大阪での被害も大きく、民衆を救済しない奉行所に対して大塩平八郎(1793~1837, 陽明学者)が乱を起こすも1日で鎮圧された。
一方田原藩では、家老の渡辺崋山(1793~1841)の活躍により餓死者を一人も出さなかった。
江戸三大改革
8代将軍徳川吉宗(1684~1751, 在職1716~1745)による。
主な政策は、
上米の制(1722、諸藩に1万石あたり100石の米を納めさせる代わりに参勤交代を緩和)、
公事方御定書の制定(1742)、
目安箱の設置(1721)、
定免法(じょうめんほう、1722、収穫量に関わらず一定量の年貢を納めさせる)、
キリスト教に関係ない洋書の解禁(1722)、
相対済令(あいたいすましれい 1719、金銀貸借の訴訟を幕府は取り上げない)、
町火消の設置、
小石川養生所の設置、
年貢率の引き上げ(四公六民→五公五民)など。
財政を安定させ、後の改革の手本となった。
老中松平定信(1759~1829,在職1787~1829)による。
前の老中田沼意次(1719~1788, 在職)による重商主義や政治腐敗を改め、質素倹約を旨とした。
主な政策は、
囲米の制(諸藩の大名に米を蓄えさせる)、
棄捐令(旗本・御家人の借金帳消し)、
旧里帰農令(江戸へ流出した農民を地方へ帰す)、
寛政異学の禁(朱子学以外の学問を禁止)など。
厳粛な政治は「白河の清きに魚の住みかねて もとの濁りの田沼こひしき」(太田南畝)と揶揄された。
松平定信
1759~1829。
御三卿の田安家に生まれ、
陸奥国白河藩の養子になる。
白河藩に日本初の公園である
南湖公園をつくった。
著書に「
花月草子」(随筆集)、「
集古十種」(古物の図録)、「
宇下人言」(うげのひとこと、自叙伝。宇下人言の文字を組み合わせると「定信」になる)がある。
老中首座水野忠邦(1794~1851, 在職1839~1843)による。
主な政策に、
人返し令(江戸に流出した農民を強制的に帰農させる)、
株仲間の解散、
上知令(江戸・大阪周辺の大名・旗本の領地を返上させて幕府直轄領にする)など。
上知令の反対が大きく、水野の失脚によって廃止される。
三大随筆
清少納言が執筆。1000年頃成立。
「あはれの文学」源氏物語に対して、「をかしの文学」と称される。
「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、・・・」
鴨長明(1155~1216)が執筆。1212年頃成立。
「方丈」は鴨長明が隠居していた庵が一丈平方だったことから。
天変地異などについても記述しながら、無常観を中心とした内容となっている。
「行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。・・・」
兼好法師(卜部兼好, 1283~1352)が執筆。1330年頃成立。
仏教的無常観をもとに、社会についての批評や様々な逸話を記述。
「つれづれなるままに、日ぐらし硯に向かひて、・・・」
三大歌集
約4500首。奈良時代に成立。選者不明(大伴家持が関与か)。
日本最古の和歌集。
素朴な感情を率直かつ大胆に表現。
古今和歌集と比べて「ますらをぶり」と評される。
天皇や貴族から名もなき防人や庶民まで様々な人の歌が収録されている。
代表作
・あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る/額田王
・銀も 金も玉も 何せむに 勝れる宝 子にしかめやも/山上憶良
・韓衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして/(防人歌)
約2000首。平安時代中期に成立。醍醐天皇の命で、紀貫之、紀友則、凡河内躬恒、壬生忠岑が編纂。
掛詞や縁語などの技巧が多く、流麗で優美な歌風から「たおやめぶり」と評される。
代表作
・人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける/紀貫之
・ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは/在原業平
冒頭に書かれている、紀貫之が和歌について論じた「仮名序」も有名。
「やまとうたは、人の心を種として、・・・」
約2000首。鎌倉時代初期に成立。
後鳥羽上皇の命で藤原定家らが編纂。
幽玄(奥深く計り知れない美しさ)、有心(華やかさの中にある寂しさ)などを追求。また、本歌取りも多い。
代表作
・見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ/藤原定家
・心なき 身にはあはれは 知られけり しぎ立つ沢の 秋の夕暮れ/西行法師
徳川家の分家のうち、将軍家に次ぐ家格として扱われた3つの家柄。転じて、ある分野で有力な3つの存在のことも言う。
徳川家の分家として、将軍の後継者や御三家、他藩に後継者を提供した。藩は持たず、江戸城内に屋敷を構えた。
千利休を祖とする茶道の流派。
千利休
1521~1591, 茶人・商人
織田信長や
豊臣秀吉に仕え、「
わび茶」を大成させたが、秀吉の逆鱗にふれ
切腹させられる。
利休七哲をはじめとする戦国武将の弟子が多かった。
日本三大仇討ち
曽我兄弟の仇討ち
1193年旧暦5月28日、源頼朝が行った富士の巻狩りにおいて、兄の曽我十郎祐成(すけなり)、弟の曽我五郎時致(ときむね)が、父親の仇である工藤祐経を討ち取った事件。
曽我兄弟の父親河津祐泰は、工藤祐経と所領の相続でもめ、祐泰を暗殺した。その後、工藤祐経は頼朝の寵臣となっていた。
兄祐成は工藤祐経襲撃の時に討ち取られ、弟時致は捕縛され斬首された。
祐成には虎御前という愛人がいた。毎年旧暦の5月28日に降る雨は、虎御前が祐成の死を悲しんで流す涙として虎が雨といわれる。
鍵屋の辻の決闘
伊賀越えの仇討ちとも。
1630年、岡山藩主の池田忠雄が寵愛する小姓の渡辺源太夫に対して、藩士の河合又五郎が横恋慕するも、振られた腹いせに源太夫を殺害した。又五郎が江戸に亡命したのち、池田忠雄は又五郎を討つように遺言し病死する。そこで、源太夫の兄の渡辺数馬が、剣術の達人である荒木又右衛門とともに、伊賀に潜伏していた又五郎を襲撃。数馬は弟の仇を討った。
風土・名産
日本三大祭
神田明神で毎年5月に行われる。「天下祭」とも。
天満宮(天神社)で毎年6月~7月25日まで行われる。
特に大阪天満宮で行われるものが有名。
7月25日には船渡御や奉納花火が行われる。
天満宮
菅原道真が配流先の
太宰府で亡くなった後、
平安京で天変地異があったため、霊を鎮めるために祀ったのが起源。
現在は学問の神ともされる。
八坂神社で毎年7月に行われる。
平安時代に疫病や死者の霊を鎮める御霊会として始まった。
山鉾巡行が有名。
下鴨神社と上賀茂神社で5月15日に行われる。
流鏑馬神事や路頭の儀が有名。
平安神宮で10月22日に行われる。
明治時代に始められた。
様々な時代の衣装を身に着けた人々の行列が有名。
東北三大祭
青森県青森市で8月2日~7日に開催。
ねぶたと呼ばれる大きな人形型の山車が、ハネトと呼ばれる踊り子とともに運行する。
宮城県仙台市で8月6日~8月7日に開催。
短冊、紙衣、折鶴、巾着、投網、くずかご、吹き流し、の7種類の飾りつけをする。
秋田竿燈祭
秋田県秋田市で8月3日~8月6日に開催。
稲穂に見立てた提灯を竹竿につるし、手や額などでバランスをとる。
日本三大人工美林
吉野スギ
奈良県。
土倉庄三郎(どぐら しょうざぶろう, 1840~1917, 林業家, 「樹喜王」)によって発展。
静岡県。
金原明善(きんぱら めいぜん, 1832~1923, 実業家)が天竜川治水の一環として整備。
日本三大珍味
うに
生のものではなく、ウニの塩辛のこと。
越前(福井県)のものが有名。
このわた
ナマコの内臓の塩辛。
漢字では海鼠腸。
能登半島、伊勢湾、三河湾のものが有名。
からすみ
ボラの卵巣の干物。
長崎のものが有名。
名前は中国の墨、唐墨に似ていたことから。
滋賀県で飼育される和牛。
もともと農耕に使われていた牛の肉を、彦根藩が養生薬として幕府に献上したことが由来とされる。
兵庫県で飼育される但馬牛のうち、一定の基準を満たしたもの。
明治時代に神戸の居留地に住んだ外国人のために牛肉が生産されたのが由来といわれる。
三重県松阪市を中心に飼育される伊勢牛のうち、特に優れたもの。
秋田県の地鶏。
観賞用の同種「比内鶏」は天然記念物に指定されている。
愛知県の地鶏。
明治時代に海部壮平・正秀兄弟がバフコーチンと岐阜地鶏を交配させて作った。
鹿児島県の地鶏。
さつま若しゃも、さつま地鶏、黒さつま鶏の三種類は、かごしま地鶏と呼ばれる。
日本三大そば
わんこそば
岩手県、盛岡市・花巻市。
お椀に入れた蕎麦が次々と出され、満腹になって蓋を閉めるまで続く。大食いの全日本大会も開かれている。
戸隠そば
長野県長野市。
茹でた蕎麦の水を切らずにざるに盛ったぼっち盛りが特徴。
修験者の食事に由来するといわれる。
島根県。
丸い漆器に蕎麦を盛って出す割子そばで知られる。
香川県。
コシのある麺が特徴。
もともと讃岐平野で小麦の生産が盛んだったことに加え、香川県が「うどん県」として讃岐うどんのプロデュースとブランド化を進めた。
秋田県湯沢市稲庭町。
素麺のように細く引き伸ばされ滑らかな食感。
日本三大そうめん
小豆島素麺
香川県小豆島。
麺同士がくっつかないようにごま油を使用している。
日本三大ラーメン
札幌ラーメン
北海道札幌市。
味噌ラーメンが有名。
スープが冷めないように表面にラードを浮かべている。
博多ラーメン
福岡県博多市。
豚骨ラーメンが有名。
麺が伸びやすいこともあり、替え玉の発祥地である(元祖長浜屋)。
日本三大菓子処
京都
和菓子店の店舗数が日本1位。
八つ橋などが有名。
日本最古の和菓子店一文字屋和輔がある。
金沢
石川県は和菓子店の店舗数が日本2位。
加賀藩初代藩主の前田利長(1562~1614)が千利休の弟子であったため、茶の湯とともに菓子文化が広まったとされる。
松江
島根県は和菓子店の店舗数が日本3位。
松江藩10代藩主の松平治郷(1751~1818)が同じく茶人であったため、菓子文化に影響を与えたとされる。
日本三大酒処
伏見
京都府京都市。
朝廷のために酒や酢を醸造する機関である、造酒司(ぞうしゅし/みきのつかさ)に起源をもつ。
日本三鳴鳥
ウグイス
鶯。スズメ目ウグイス科。
「ホーホケキョ」とさえずる。
山梨県、福岡県の県の鳥。
ウグイスは、一般に言う鶯色(緑色)をしていない。
また、
花札の2月の札には「
梅に鶯」の絵が描かれているが、鶯が梅の木にとまることは少ない。
これは、ウグイスとメジロが長らく混同されていたことによる。
駒鳥。スズメ目ヒタキ科。
「ヒンカラカラ」と馬の鳴き声のようにさえずる。
体色は鮮やかな橙色。
奈良県、愛媛県の県の鳥。
大瑠璃。スズメ目ヒタキ科。
「ピールリー」とさえずる。
体色は鮮やかな青色。
栃木県の県の鳥。
器物
日本神話において、瓊瓊杵尊が天孫降臨するときに天照大神が授けたという宝物。現在も皇室のレガリアとされる。
八咫鏡(やたのかがみ)
実物は伊勢神宮に、形代は皇居にある。
日本神話によると、天照大神が岩戸を少し開けたときにその姿を映し出したと言われる。
草薙剣(くさなぎのつるぎ)
天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも。
実物は熱田神宮に、形代は壇ノ浦の戦いで失われ、作り直したものが皇居にある。
日本神話によると、スサノオがヤマタノオロチを退治したとき、その尾から出てきたという。
また、ヤマトタケルが東征の際に持っていたとされる。敵から火攻めにあったとき、この剣で燃える草を薙ぎ払い窮地を脱したことから、「草薙剣」と呼ばれるようになった。また、この地のことを焼津(現在の静岡県中部)と言うようになった。
実物は皇居にある。
日本神話によると、天照大神の岩戸隠れのときに玉祖命が作ったとされる。
高度経済成長期初期に普及した家電。
白黒テレビ
1959年の、皇太子明仁親王と正田美智子の結婚パレードが普及のきっかけとなったといわれる。
洗濯機
冷蔵庫
いざなぎ景気前後に普及した耐久消費財。
カラーテレビ(Color television)
1964年の東京オリンピックが普及のきっかけになったといわれる。
クーラー(Cooler)
日本国憲法第28条で定められている。
団体交渉権
労働組合が、使用者に対して労働条件などを交渉する権利。
労働三法
労働時間や休日など、労働条件に関する最低限の基準を定める。
1947年制定。
労働基準法によると、
・使用者は原則
1日に8時間以上、
週に40時間以上労働させてはいけない
・労働時間が
6時間を超える場合は45分以上、
8時間を超える場合は1時間以上の休憩を与える
・
少なくとも毎週1日の休日か、
4週間に4日以上の休日を与えなければいけない
労働争議の公正な解決や予防を目的とする。
1946年制定。
- 地盤・看板・鞄
地盤:その土地での候補者の人脈や縁。
看板:知名度。
鞄:選挙資金。札束が入った鞄のイメージから。
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