まとめ・備忘録【クイズ・雑学】

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【現在52個】日本の名数3・日本三大【事物・事象編】

日本三大○○など、3つの名数の一覧。



目次




土地

日本三景

林鵞峰(1618~1680, 京都, 儒者林羅山の子)が「日本国事跡考」の中で提唱。

松島

宮城県松島町、東松島市塩釜市七ヶ浜町
約260の島々からなる多島海およびリアス海岸。また、松島四大観という修景地点があり、壮観麗観幽観偉観からなる。
松島や ああ松島や 松島や」という句は、実は松尾芭蕉のものではない。

天橋立

京都府宮津市
松並木の砂州が天にかかる橋のように見える。飛龍観雪舟一字観斜め一文字などの修景地点がある。
股のぞきでも知られる。

宮島

広島県廿日市市
正式には厳島(いつくしま)という。
海岸にある厳島神社の社殿と大鳥居は干潟の上につくられており、満潮時には海に浮かんでいるように見える。
1996年世界文化遺産登録。

厳島神社
祭神は市杵島姫命田心姫命湍津姫命宗像三女神)。平清盛(1118~1181)が社殿を整備し氏神とする。1555年には戦国武将毛利元就(1497~1571)がこの地で陶晴賢(1521~1555)を破り勢力を拡大する。

日本三名園

兼六園

石川県金沢市
加賀藩5代藩主の前田綱紀(1643~1724)が1676年に造営。

宏大・幽𨗉・人力・蒼古・水泉・眺望の六つを兼ね備える庭園として命名された。
雪吊(雪で枝が折れないように樹木の枝を吊るすこと)でも知られる。

宏大・幽𨗉(ゆうすい)・人力(じんりょく)・蒼古・水泉・眺望
それぞれ、「広く大きいこと」「奥深く物静かなこと」「人の手が加わっていること」「自然そのままのこと」「水辺」「きれいな見晴らし」の意味。中国北宋時代の書物「洛陽名園記」にちなんで松平定信命名した。

後楽園

岡山県岡山市
岡山藩2代藩主の池田綱政(1638~1714)が1687年に造営。

中国の言葉「先憂後楽」(常に民に先立って国の心配をし、民が楽しんだ後に自分が楽しむ=為政者の心得)に由来する。

偕楽園

茨城県水戸市
水戸藩9代藩主の徳川斉昭(1800~1860、徳川慶喜の父)が1842年に造営。

3000本以上の梅で有名。民と「偕(とも)に楽しむ」という意味を込めて命名された。また、梅の別名、好文木にちなんだ好文亭というあずまやがある。

日本三大急流

最上川

山形県を流れる。
山形県福島県の県境にある吾妻山に源を発し、日本海に注ぐ。

松尾芭蕉の俳句に「五月雨を あつめて早し 最上川」と詠まれる。
1つの県を流れる川としては最長である。
「もがみ」は「珍しい岩石が多いところ」の意味、またはアイヌ語で「静かなる神」を意味するモー・カムイに由来するとされる。

富士川

長野県・山梨県静岡県を流れる。
山梨県と長野県の県境にある南アルプス・鋸岳に源を発し、駿河湾に注ぐ。

上流は釜無川と呼ばれる。
山梨県と東海を結ぶ水運として利用された。
1180年に源平が衝突し、平家軍が水鳥の音に驚いて総崩れとなった富士川の戦いでも知られる。

球磨川

熊本県を流れる。
水上村に源を発し、八代海不知火海)に注ぐ。

川下りは100年以上の歴史があり、地域観光が盛ん。

日本三大清流

四万十川

高知県を流れる。
高知県の不入山に源を発し、太平洋に注ぐ。

四国最長の川。
日本最後の清流」と称される。
沈下橋でも有名。

長良川

木曽三川を参照。

柿田川

静岡県を流れる。
静岡県清水町を源流とし、狩野川に合流する。

長さはわずか1.2km。
川そのものが天然記念物に指定されている。

日本三大暴れ川

筑後川

熊本県大分県・福岡県・佐賀県を流れる。
阿蘇山のふもとを源流とし、有明海に注ぐ。

別称「筑紫次郎」。
米どころである筑紫平野を支える。
また、吉野ケ里遺跡として知られる環濠集落は、筑後川の水運をもとに発展したとされる。

吉野川

高知県徳島県を流れる。
四国山地瓶ヶ森を源流とし、紀伊水道に注ぐ。

別称「四国三郎」。
近畿地方吉野川とは別である。

利根川

群馬県、埼玉県、千葉県、茨城県を流れる。
群馬県三国山脈の大水上山に源を発し、茨城県と千葉県の間を流れ太平洋に注ぐ。

別名「坂東太郎」。
流域面積日本一、長さは日本2位。
鎌倉幕府、北条氏、江戸幕府など、時の権力者が大規模な河川改修工事を行った。特に、江戸時代には東京湾に注いでいた本流を日本海に注ぐように移すという大規模な工事が、関東代官の伊奈氏によって行われた。

木曽三川

木曽川

長野県、岐阜県、愛知県、三重県を流れる。
長野県の鉢盛山を源流とし、伊勢湾に注ぐ。

三川のうちもっとも東にある。
愛知県犬山市付近の渓谷はヨーロッパのライン川にちなんで日本ラインと呼ばれる。

長良川

岐阜県、愛知県、三重県を流れる。
岐阜県大日ヶ岳を源流とし、伊勢湾に注ぐ。

カワウを使って漁をする、長良川鵜飼で有名である。

利根川

岐阜県三重県を流れる。
岐阜県の冠山を源流とし、伊勢湾に注ぐ。

三川でもっとも西にある。
支流には養老の滝がある。
関西弁イントネーションと共通語イントネーションの境目でもある。

養老の滝
孝行者の樵が父に酒を飲ませたいと思っていると、滝の水が酒に変わり、それを飲ませると父が若返った」という伝説がある。これにちなんで717年、元正天皇元号養老に定めた。

日本三名瀑

華厳の滝

栃木県日光市にある、利根川水系の大谷川の滝。
落差97m。男体山の噴火によって中禅寺湖がせき止められてできた。
奈良時代の僧侶勝道が仏教経典の華厳経から名付けた。
1903年、一高生の藤村操が遺書「巌頭之感」を残して自殺、後を追うものが相次ぎ、自殺の名所として知られるようになった。

那智の滝

和歌山県那智勝浦町にある、那智川の滝。
落差は133m。また、周囲の原始林にも多くの滝があり、密教修験道の滝行の場となっている。

袋田の滝

茨城県大子町にある、久慈川水系の滝。
落差120m。四段になっているため四度の滝とも言われる。冬には滝が凍結する氷瀑が見られる。

日本三名泉

万里集九(ばんりしゅうく, 1428~?, 禅僧・歌人)が提唱。

有馬温泉

兵庫県神戸市。
三名泉のなかでも日本一といわれる。
温泉の成分によって金泉・銀泉と呼ばれる。
日本書紀などに記述があるほか、清少納言豊臣秀吉などが滞在したといわれる。

草津温泉

群馬県草津町。湧出量日本一。
恋の病以外は全て効く」というほどの薬湯といわれる。
湯もみでも有名。

下呂温泉

岐阜県下呂市鎌倉時代に一度湧出が途絶えたが、薬師如来が白鷺に姿を変えて新たな湧出地を教えたという伝説がある。

日本三古泉

有馬温泉

日本三名泉を参照。

白浜温泉

和歌山白浜町
別名牟婁の湯(むろのゆ)。
歴代の天皇が多く訪れた。
純粋な石英からなる白い砂浜白良浜もあり、付近はリゾート地となっている。

道後温泉

愛媛県松山市
夏目漱石の小説「坊っちゃん」にも登場。
聖徳太子厩戸皇子)などが訪れたとされる。
近代和風建築である道後温泉本館重要文化財

日本三大工業地帯

京浜工業地帯

東京都、神奈川県、千葉県、埼玉県に及ぶ。
印刷業が盛ん。

中京工業地帯

愛知県、三重県岐阜県に及ぶ。
生産額日本1位。輸送機械などの機械工業が盛ん。
主な企業はトヨタデンソーなど。

阪神工業地帯

大阪府兵庫県に及ぶ。
中小企業が多い。
主な企業はパナソニック、シャープ、クボタ、カワサキなど。

熊野三山

熊野権現と呼ばれる三神を祀る3つの神社の総称。全国の熊野信仰の総本山。
2004年に世界文化遺産紀伊山地の霊場と参詣道」に登録。

熊野本宮大社

和歌山県田辺市本宮町。主祭神は家都美御子大神(=素戔嗚尊)。
高さ34mの、日本最大の大鳥居がある。
また、神武天皇の東征のとき、八咫烏が熊野の地から大和国までと言われるため、熊野本宮大社では八咫烏も祭っている。

熊野速玉大社

和歌山県新宮市新宮。主祭神は熊野夫須美大神(=伊邪那美尊)、熊野速玉大神(=伊邪那岐尊)。

熊野那智大社

和歌山県那智勝浦町主祭神は熊野夫須美大神。
境内には日本三名瀑のひとつ那智滝がある。

出羽三山

山形県にある山岳信仰の場。

月山

山形県庄内町。標高1984mの山頂には月山神社が位置し、月読命(=阿弥陀如来)を祀っている。

羽黒山

山形県鶴岡市羽黒町。標高414mの山頂には出羽神社が位置し、伊氐波神・稲倉魂命(=観音菩薩)を祀っている。

湯殿山

山形県鶴岡市。標高1500mの中腹には湯殿山神社があり、大山祇神大己貴命少彦名命(=大日如来)を祀っている。

大和三山

奈良県橿原市。三山の中心部には藤原京が位置していた。

畝傍山

標高199m。麓には神武天皇陵がある。

天香久山

標高152m。持統天皇の和歌で有名。

耳成山

標高149m。

日本三大奇景

妙義山

群馬県下仁田町富岡市安中市
急峻な峰が連なった景観をもつ。
上毛かるたの「も」の札に「紅葉に映える妙義山」とある。

寒霞渓

香川県小豆島町
名前は、日本書紀によると、応神天皇が岩に鉤をかけて登ったことから「かんかけ」と呼ばれるようになったことにちなむ。

耶馬渓

大分県中津市
山国川の上流にある渓谷。
渓谷沿いには青の洞門があることでも知られる。

青の洞門
禅海という僧侶が、30年以上かけて鑿で掘り出したトンネル。
菊池寛の小説「恩讐の彼方に」の題材となった。
(ただし、「恩讐の彼方に」の中では僧侶の名は了海となっている。)

日本三大天空の城

3城とも山頂にあり、雲海が発生すると雲の上に城が浮かんでいるように見えることから。

竹田城

兵庫県朝来市。別名虎臥城。「日本のマチュピチュ」とも。
1431年、山名宗全山名持豊、1404~1473、応仁の乱の西軍総大将)によって築城されたとされる。その後太田垣氏、豊臣氏が城主となった。

備中松山城

岡山県高梁市。臥牛山の山頂にある。江戸時代以来の天守重要文化財
鎌倉時代中期に築城された。

越前大野

福井県大野市
越前一向一揆を平定した金森長近(1524~1608、織田信長の武将)が築城。その後は越前松平家や土井氏が城主となった。

日本三大鍾乳洞

秋芳洞

山口県美祢市
カルスト台地である秋吉台の近に広がる。総延長は8850m。

龍泉洞

岩手県岩泉町
地底湖が多く、その水は名水百選にも選ばれている。

龍河洞

高知県香美市
弥生時代に洞窟内に居住した遺跡があり、弥生土器と鍾乳石が一体化した「神の壺」などがある。

歴史

江戸幕府三奉行

町奉行

領内の都市部の行政・司法を司る役職。
奉行所(北町奉行所と南町奉行所があった)に駐在した。
大岡忠相(おおおかただすけ, 1677~1752, 通称大岡越前)や遠山金四郎景元(とおやまきんしろうかげもと, 1793~1855, 「遠山の金さん」のモデル)が有名。

寺社奉行

寺院や神社、および楽人、陰陽師などを司る。

勘定奉行

代官の監督、および年貢の徴収、幕府の財政を司る。
小栗忠順おぐりただまさ, 1827~1868, 幕府の近代化を進める)が有名。

村形三役

地方三役(じかたさんやく)ともいう。

名主

庄屋肝煎ともいう。
役割は村民・土地の管理、上意下達など。
武士よりも裕福なものが多くいたという。

組頭

年寄ともいう。
名主を補佐する役割。

百姓代

その名の通り百姓の代弁者であり、名主の不正を監視する役割であった。世襲であった名主や組頭と異なり、村民から選ばれるものだった。

江戸三大飢饉

享保の飢饉

1732年、将軍徳川吉宗の時代。
西日本で、悪天候やウンカの虫害による凶作が原因となって発生。死者数は最低でも12000人。米価高騰によって享保の打ちこわしが発生した。
幕府は対策として、青木昆陽(1698~1769, 東京都, 蘭学者, 「甘藷先生」とよばれた)に救荒作物としてサツマイモを普及させた。

天明の飢饉

1782~1788年。将軍徳川家治の時代。
岩木山浅間山の噴火、海外ではアイスランドラキ火山の火山灰で日射量が減少したことや、エルニーニョ現象による冷害も原因となった。東北を中心に発生し、死者数は90万人以上。
人々は困窮して人肉食におよんだ。諸藩も大きな被害を受けたなか、白河藩松平定信は迅速かつ適切な対応で餓死者を一人も出さなかったため、老中に抜擢され、寛政の改革を進めることとなる。

天保の飢饉

1833~1839年
東北を中心に、洪水や冷害が原因となって発生。冷害にはニカラグア・コシグイナ火山の火山灰との関連性も指摘されている。死者数は幕府領だけで20~30万人。
大阪での被害も大きく、民衆を救済しない奉行所に対して大塩平八郎(1793~1837, 陽明学者)が乱を起こすも1日で鎮圧された。
一方田原藩では、家老の渡辺崋山(1793~1841)の活躍により餓死者を一人も出さなかった。

江戸三大改革

享保の改革

8代将軍徳川吉宗(1684~1751, 在職1716~1745)による。
主な政策は、
上米の制(1722、諸藩に1万石あたり100石の米を納めさせる代わりに参勤交代を緩和)、
公事方御定書の制定(1742)、
目安箱の設置(1721)、
定免法(じょうめんほう、1722、収穫量に関わらず一定量の年貢を納めさせる)、
キリスト教に関係ない洋書の解禁(1722)、
相対済令(あいたいすましれい 1719、金銀貸借の訴訟を幕府は取り上げない)、
町火消の設置、
小石川養生所の設置、
年貢率の引き上げ(四公六民→五公五民)など。
財政を安定させ、後の改革の手本となった。

寛政の改革

老中松平定信(1759~1829,在職1787~1829)による。
前の老中田沼意次(1719~1788, 在職)による重商主義や政治腐敗を改め、質素倹約を旨とした。
主な政策は、
囲米の制(諸藩の大名に米を蓄えさせる)、
棄捐令(旗本・御家人の借金帳消し)、
旧里帰農令(江戸へ流出した農民を地方へ帰す)、
寛政異学の禁朱子学以外の学問を禁止)など。
厳粛な政治は「白河の清きに魚の住みかねて もとの濁りの田沼こひしき」(太田南畝)と揶揄された。

松平定信
1759~1829。御三卿の田安家に生まれ、陸奥国白河藩の養子になる。白河藩に日本初の公園である南湖公園をつくった。
著書に「花月草子」(随筆集)、「集古十種」(古物の図録)、「宇下人言」(うげのひとこと、自叙伝。宇下人言の文字を組み合わせると「定信」になる)がある。

天保の改革

老中首座水野忠邦(1794~1851, 在職1839~1843)による。
主な政策に、
人返し令(江戸に流出した農民を強制的に帰農させる)、
株仲間の解散、
上知令(江戸・大阪周辺の大名・旗本の領地を返上させて幕府直轄領にする)など。
上知令の反対が大きく、水野の失脚によって廃止される。

三大随筆

枕草子

清少納言が執筆。1000年頃成立。
「あはれの文学」源氏物語に対して、「をかしの文学」と称される。
春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは、・・・

方丈記

鴨長明(1155~1216)が執筆。1212年頃成立。
「方丈」は鴨長明が隠居していた庵が一丈平方だったことから。
天変地異などについても記述しながら、無常観を中心とした内容となっている。
行く川の流れは絶えずして、しかも本の水にあらず。・・・

徒然草

兼好法師卜部兼好, 1283~1352)が執筆。1330年頃成立。
仏教的無常観をもとに、社会についての批評や様々な逸話を記述。
つれづれなるままに、日ぐらし硯に向かひて、・・・

三大歌集

万葉集

約4500首。奈良時代に成立。選者不明(大伴家持が関与か)。
日本最古の和歌集
素朴な感情を率直かつ大胆に表現。
古今和歌集と比べて「ますらをぶり」と評される。
天皇や貴族から名もなき防人や庶民まで様々な人の歌が収録されている。
代表作
・あかねさす 紫野行き 標野行き 野守は見ずや 君が袖振る/額田王
・銀も 金も玉も 何せむに 勝れる宝 子にしかめやも/山上憶良
・韓衣 裾に取りつき 泣く子らを 置きてそ来ぬや 母なしにして/(防人歌)

古今和歌集

約2000首。平安時代中期に成立。醍醐天皇の命で、紀貫之紀友則凡河内躬恒壬生忠岑が編纂。
掛詞や縁語などの技巧が多く、流麗で優美な歌風から「たおやめぶり」と評される。
代表作
・人はいさ 心も知らず ふるさとは 花ぞ昔の 香ににほひける/紀貫之
・ちはやぶる 神代も聞かず 竜田川 からくれなゐに 水くくるとは/在原業平

冒頭に書かれている、紀貫之が和歌について論じた「仮名序」も有名。
「やまとうたは、人の心を種として、・・・」

新古今和歌集

約2000首。鎌倉時代初期に成立。
後鳥羽上皇の命で藤原定家らが編纂。
幽玄(奥深く計り知れない美しさ)、有心(華やかさの中にある寂しさ)などを追求。また、本歌取りも多い。
代表作
・見渡せば 花も紅葉もなかりけり 浦の苫屋の 秋の夕暮れ/藤原定家
・心なき 身にはあはれは 知られけり しぎ立つ沢の 秋の夕暮れ/西行法師

徳川御三家

徳川家の分家のうち、将軍家に次ぐ家格として扱われた3つの家柄。転じて、ある分野で有力な3つの存在のことも言う。

尾張徳川家

徳川家康の九男、徳川義直(1601~1650)が祖。
名古屋藩を治めた。

紀伊徳川家

徳川家康の十男、徳川頼宣(1602~1671)が祖。
紀州藩を治めた。
8代将軍徳川吉宗、14代将軍徳川家茂を輩出。

水戸徳川家

徳川家康の十一男、徳川頼房(1603~1661)が祖。
水戸藩を治めた。
15代将軍徳川慶喜は水戸家の血統。

御三卿

徳川家の分家として、将軍の後継者や御三家、他藩に後継者を提供した。藩は持たず、江戸城内に屋敷を構えた。

田安徳川家

徳川吉宗の次男、徳川宗武(1716~1771)が祖。
松平定信白河藩主・老中、寛政の改革)、松平春嶽福井藩、幕末の四賢侯)らを輩出。

一橋徳川家

徳川吉宗の三男、徳川宗尹(1721~1765)が祖。
11代将軍徳川家斉、15代将軍徳川慶喜を輩出。

清水徳川家

徳川家重の次男(徳川吉宗の孫)徳川重好(1745~1765)が祖。

三千家

千利休を祖とする茶道の流派。

千利休
1521~1591, 茶人・商人
織田信長豊臣秀吉に仕え、「わび茶」を大成させたが、秀吉の逆鱗にふれ切腹させられる。利休七哲をはじめとする戦国武将の弟子が多かった。

表千家

千利休から続く本家。茶室「不審庵」を持つ。

裏千家

茶室「今日庵」を持つ。

武者小路千家

読みは「むしゃこうじ」。
武者小路通りにある茶室「官休庵」を持つ。

日本三大仇討ち

曽我兄弟の仇討ち

1193年旧暦5月28日、源頼朝が行った富士の巻狩りにおいて、兄の曽我十郎祐成(すけなり)、弟の曽我五郎時致(ときむね)が、父親の仇である工藤祐経を討ち取った事件。
曽我兄弟の父親河津祐泰は、工藤祐経と所領の相続でもめ、祐泰を暗殺した。その後、工藤祐経は頼朝の寵臣となっていた。
兄祐成は工藤祐経襲撃の時に討ち取られ、弟時致は捕縛され斬首された。
祐成には虎御前という愛人がいた。毎年旧暦の5月28日に降る雨は、虎御前が祐成の死を悲しんで流す涙として虎が雨といわれる。

赤穂浪士討ち入り

通称忠臣蔵として名高い。
1701年、赤穂藩浅野内匠頭長矩(あさの たくみのかみ ながのり)が、江戸城松の廊下で吉良上野介義央(きらこうずけのすけよしひさ)を遺恨から切りつけた。
浅野内匠頭切腹赤穂藩は取り潰しとなったが、吉良上野介はお咎めなしであった。
そのため、浅野家の家臣たちは反発、家老であった大石内蔵助(おおいし くらのすけ)らは、1703年、47人で吉良邸に討ち入りし、主君の仇を討った。
赤穂浪士の行いは義に則った正当な仇討ちとして無罪を訴える声もあったが、幕府は有罪
として、切腹を命じた。
赤穂浪士は主君の浅野内匠頭とともに泉岳寺に葬られている。
人形浄瑠璃・歌舞伎の「仮名手本忠臣蔵」や、大佛次郎の小説「赤穂浪士」など、この事件を基にした作品は数知れない。

鍵屋の辻の決闘

伊賀越えの仇討ちとも。
1630年、岡山藩主の池田忠雄が寵愛する小姓の渡辺源太夫に対して、藩士の河合又五郎が横恋慕するも、振られた腹いせに源太夫を殺害した。又五郎が江戸に亡命したのち、池田忠雄は又五郎を討つように遺言し病死する。そこで、源太夫の兄の渡辺数馬が、剣術の達人である荒木又右衛門とともに、伊賀に潜伏していた又五郎を襲撃。数馬は弟の仇を討った。

風土・名産

日本三大祭

神田祭

神田明神で毎年5月に行われる。「天下祭」とも。

神田明神
東京都千代田区
主祭神大己貴神少彦名神平将門命。
730年建立。
935年、承平の乱で敗死した平将門の霊を鎮めるために祀られた。
徳川家康関ヶ原の合戦などで戦勝を祈願したといわれる。

天神祭

天満宮(天神社)で毎年6月~7月25日まで行われる。
特に大阪天満宮で行われるものが有名。
7月25日には船渡御や奉納花火が行われる。

天満宮
菅原道真が配流先の太宰府で亡くなった後、平安京で天変地異があったため、霊を鎮めるために祀ったのが起源。
現在は学問の神ともされる。

祇園祭

八坂神社で毎年7月に行われる。
平安時代に疫病や死者の霊を鎮める御霊会として始まった。
山鉾巡行が有名。

八坂神社
京都府京都市東山区
主祭神素戔嗚尊櫛稲田姫命

素戔嗚尊と同一視される牛頭天王祇園精舎の守護神であるため、祇園社とも呼ばれる。

京都三大祭

祇園祭

日本三大祭を参照。

葵祭

下鴨神社上賀茂神社で5月15日に行われる。
流鏑馬神事や路頭の儀が有名。

下鴨神社
京都府京都市左京区
正式名称は加茂後祖神社
主祭神玉依姫命
境内には糺の森(ただすのもり)という原生林がある。

時代祭

平安神宮で10月22日に行われる。
明治時代に始められた。
様々な時代の衣装を身に着けた人々の行列が有名。

東北三大祭

青森ねぶた祭

青森県青森市で8月2日~7日に開催。
ねぶたと呼ばれる大きな人形型の山車が、ハネトと呼ばれる踊り子とともに運行する。

仙台七夕まつり

宮城県仙台市で8月6日~8月7日に開催。
短冊、紙衣、折鶴、巾着、投網、くずかご、吹き流し、の7種類の飾りつけをする。

秋田竿燈祭

秋田県秋田市で8月3日~8月6日に開催。
稲穂に見立てた提灯を竹竿につるし、手や額などでバランスをとる。

日本三大天然美林

青森ヒバ

青森県

秋田スギ

秋田県
大館曲げわっぱなどに加工。

木曽ヒノキ

長野県。
伊勢神宮本宮にも使われる。

日本三大人工美林

吉野スギ

奈良県
土倉庄三郎(どぐら しょうざぶろう, 1840~1917, 林業家, 「樹喜王」)によって発展。

天竜スギ

静岡県
金原明善(きんぱら めいぜん, 1832~1923, 実業家)が天竜川治水の一環として整備。

尾鷲ヒノキ

三重県

日本三大珍味

うに

生のものではなく、ウニの塩辛のこと。
越前(福井県)のものが有名。

このわた

ナマコの内臓の塩辛。
漢字では海鼠腸。
能登半島、伊勢湾、三河湾のものが有名。

からすみ

ボラの卵巣の干物。
長崎のものが有名。
名前は中国の墨、唐墨に似ていたことから。

日本三大和牛

近江牛

滋賀県で飼育される和牛。
もともと農耕に使われていた牛の肉を、彦根藩が養生薬として幕府に献上したことが由来とされる。

神戸ビーフ

兵庫県で飼育される但馬牛のうち、一定の基準を満たしたもの。
明治時代に神戸の居留地に住んだ外国人のために牛肉が生産されたのが由来といわれる。

松阪牛

三重県松阪市を中心に飼育される伊勢牛のうち、特に優れたもの。

日本三大地鶏

比内地鶏

秋田県の地鶏。
観賞用の同種「比内鶏」は天然記念物に指定されている。

名古屋コーチン

愛知県の地鶏。
明治時代に海部壮平・正秀兄弟がバフコーチン岐阜地鶏を交配させて作った。

薩摩地鶏

鹿児島県の地鶏。
さつま若しゃも、さつま地鶏、黒さつま鶏の三種類は、かごしま地鶏と呼ばれる。

日本三大そば

わんこそば

岩手県盛岡市花巻市
お椀に入れた蕎麦が次々と出され、満腹になって蓋を閉めるまで続く。大食いの全日本大会も開かれている。

戸隠そば

長野県長野市
茹でた蕎麦の水を切らずにざるに盛ったぼっち盛りが特徴。
修験者の食事に由来するといわれる。

出雲そば

島根県
丸い漆器に蕎麦を盛って出す割子そばで知られる。

日本三大うどん

讃岐うどん

香川県
コシのある麺が特徴。
もともと讃岐平野で小麦の生産が盛んだったことに加え、香川県が「うどん県」として讃岐うどんのプロデュースとブランド化を進めた。

稲庭うどん

秋田県湯沢市稲庭町。
素麺のように細く引き伸ばされ滑らかな食感。

水沢うどん

群馬県渋川市伊香保町水沢。
麺は細めでコシがある。水澤寺の参拝客のためにふるまわれたものに由来。

日本三大そうめん

播州そうめん

兵庫県
揖保乃糸」ブランドが有名。

三輪そうめん

奈良県桜井市三輪。
遣唐使から伝わった索餅(さくべい)に由来し、素麺発祥の地ともされる。

小豆島素麺

香川県小豆島。
麺同士がくっつかないようにごま油を使用している。

日本三大ラーメン

札幌ラーメン

北海道札幌市。
味噌ラーメンが有名。
スープが冷めないように表面にラードを浮かべている。

喜多方ラーメン

福島県喜多方市
豚骨と煮干しのスープ。
喜多方市は人口当たりのラーメン店が最も多い。

博多ラーメン

福岡県博多市。
豚骨ラーメンが有名。
麺が伸びやすいこともあり、替え玉の発祥地である(元祖長浜屋)。

日本三大菓子処

京都

和菓子店の店舗数が日本1位。
八つ橋などが有名。
日本最古の和菓子店一文字屋和輔がある。

金沢

石川県は和菓子店の店舗数が日本2位。
加賀藩初代藩主の前田利長(1562~1614)が千利休の弟子であったため、茶の湯とともに菓子文化が広まったとされる。

松江

島根県は和菓子店の店舗数が日本3位。
松江藩10代藩主の松平治郷(1751~1818)が同じく茶人であったため、菓子文化に影響を与えたとされる。

日本三大酒処

兵庫県神戸市・西宮市。
御影郷、魚崎郷、西郷、西宮郷今津郷の5つの酒造地がある。

伏見

京都府京都市
朝廷のために酒や酢を醸造する機関である、造酒司(ぞうしゅし/みきのつかさ)に起源をもつ。

西条

広島県東広島市
西国街道四日市宿を中心に酒造りが広まった。

日本三鳴鳥

ウグイス

鶯。スズメ目ウグイス科。
ホーホケキョ」とさえずる。
山梨県、福岡県の県の鳥

ウグイスは、一般に言う鶯色(緑色)をしていない。
また、花札の2月の札には「梅に鶯」の絵が描かれているが、鶯が梅の木にとまることは少ない。

これは、ウグイスとメジロが長らく混同されていたことによる。

コマドリ

駒鳥。スズメ目ヒタキ科。
ヒンカラカラ」と馬の鳴き声のようにさえずる。
体色は鮮やかな橙色。
奈良県愛媛県の県の鳥

オオルリ

大瑠璃。スズメ目ヒタキ科。
ピールリー」とさえずる。
体色は鮮やかな青色。
栃木県の県の鳥

器物

三種の神器(皇室)

日本神話において、瓊瓊杵尊天孫降臨するときに天照大神が授けたという宝物。現在も皇室のガリとされる。

八咫鏡(やたのかがみ)

実物は伊勢神宮に、形代は皇居にある。
日本神話によると、天照大神が岩戸を少し開けたときにその姿を映し出したと言われる。

草薙剣(くさなぎのつるぎ)

天叢雲剣(あめのむらくものつるぎ)とも。
実物は熱田神宮に、形代は壇ノ浦の戦いで失われ、作り直したものが皇居にある。
日本神話によると、スサノオヤマタノオロチを退治したとき、その尾から出てきたという。
また、ヤマトタケルが東征の際に持っていたとされる。敵から火攻めにあったとき、この剣で燃える草を薙ぎ払い窮地を脱したことから、「草薙剣」と呼ばれるようになった。また、この地のことを焼津(現在の静岡県中部)と言うようになった。

八尺瓊勾玉

実物は皇居にある。
日本神話によると、天照大神の岩戸隠れのときに玉祖命が作ったとされる。

三種の神器(家電)

高度経済成長期初期に普及した家電。

白黒テレビ

1959年の、皇太子明仁親王と正田美智子の結婚パレードが普及のきっかけとなったといわれる。

洗濯機

冷蔵庫

三種の神器(3C)

いざなぎ景気前後に普及した耐久消費財

カラーテレビ(Color television)

1964年の東京オリンピックが普及のきっかけになったといわれる。

クーラー(Cooler)

自動車(Car)

制度・その他

陸軍三長官

大日本帝国陸軍の最高幹部

陸軍大臣

旧日本軍の陸軍の軍政を担当。

参謀総長

政府とは独立して陸軍を統率する参謀本部の長官。

教育総監

陸軍教育を統括する。

労働三権

日本国憲法第28条で定められている。

団結権

労働者が団結して労働組合を作れる権利。

団体交渉権

労働組合が、使用者に対して労働条件などを交渉する権利。

団体行動権

労働条件改善のため、労働者たちがストライキなどの労働争議を行う権利。

労働三法

労働基準法

労働時間や休日など、労働条件に関する最低限の基準を定める。
1947年制定。

労働基準法によると、
・使用者は原則1日に8時間以上、週に40時間以上労働させてはいけない
・労働時間が6時間を超える場合は45分以上、8時間を超える場合は1時間以上の休憩を与える
少なくとも毎週1日の休日か、4週間に4日以上の休日を与えなければいけない

労働組合

労働者の団結権を保障する。
1945年制定。

労働関係調整法

労働争議の公正な解決や予防を目的とする。
1946年制定。

護憲三派

大正時代に第二次護憲運動を起こした3つの政党。
1924年護憲三派内閣である加藤高明内閣が成立した。

立憲政友会

1900年、伊藤博文によって結党。
第二次護憲運動時の総裁は高橋是清
護憲三派内閣の終了後は立憲民政党との二大政党制となる(憲政の常道)。

憲政会

1916年結党。大隈重信が結成した同志会の流れをくむ。
第二次護憲運動時の総裁は加藤高明
1927年に政友本党と合同して立憲民政党となり、立憲政友会との二大政党となる(憲政の常道)。

革新倶楽部

1922年、犬養毅尾崎行雄らにより結党。
第二次護憲運動時の総裁は犬養毅
1925年、治安維持法を推進する犬養らと、反対する尾崎らの対立により解散。

非核三原則

核兵器を、持たず・作らず・持ち込ませず

1967年に内閣総理大臣佐藤栄作が表明。これにより、佐藤栄作1974年ノーベル平和賞受賞。

三冠王(野球)

首位打者本塁打王打点王

首位打者(打率1位)、本塁打数1位、打点数1位の選手に贈られる称号。
これまでの達成者は、
中島治康(1938 巨人)
野村克也(1965 南海)
王貞治(1973, 1974 巨人, 通算868本塁打一本足打法
落合博満(1982, 1985, 1986 ロッテ, 「オレ流」・初の年俸1億円越え)
ブーマー(1984 阪急)
バース(1985, 1986 阪神
松中信彦(2004 ダイエー
村上宗隆(2022 ヤクルト)
(8人12例)

投手三冠

最多勝利・最優秀防御率最多奪三振

勝利数1位、防御率1位、奪三振数1位の選手に贈られる称号。
これまでの達成者は、
沢村栄治(1937 巨人, 初のノーヒットノーラン・「沢村賞」)
V.スタルヒン(1938 巨人, ロシア出身・日本名:須田博)
藤本英雄(1943 巨人)、中尾碩志(1948 巨人)
杉下茂(1954 中日)
宅和本司(1954 南海)
金田正一(1958 国鉄
稲尾和久(1958, 1961 西鉄
杉浦忠(1959 南海)
権藤博(1961 中日)
鈴木啓示(1978 近鉄
木田勇(1980 日本ハム
江川卓(1981 巨人)
小松辰雄(中1985 日)
野茂英雄(1990 近鉄, トルネード投法・日本人メジャーリーガーの先駆け)
上原浩治(1999 巨人)
斉藤和巳(2006 ソフトバンク
前田健太(2010 広島)
菅野智之(2018 巨人)
千賀滉大(2020 ソフトバンク
山本由伸(2021, 2022, 2023 オリックス
(21人24例)

三バン

地盤・看板・鞄

地盤:その土地での候補者の人脈や縁。
看板:知名度
鞄:選挙資金。札束が入った鞄のイメージから。