○○条約の一覧。
目次
ヴェルダン条約
843年、仏・Verdun。フランク王ルートヴィヒ1世の死後、王国を3分割して、息子のロタール1世、ルートヴィヒ2世、シャルル2世がそれぞれ中フランク王国、東フランク王国、西フランク王国を相続することを定めた。
※ヴェルダンは第一次世界大戦の激戦地となった。
メルセン条約
870年、蘭・Meerssen。シャルル2世、ルートヴィヒ2世、ロドヴィコ2世がそれぞれ西フランク王国、東フランク王国、イタリア王国を統治することを定めた。この3王国の境界は、現在のフランス、ドイツ、イタリアの国境の原型となった。
澶淵の盟
1004年、中国。遼の攻撃を受けた宋(北宋)は、「国境の現状維持、不戦および宋から遼へ年間絹20万疋、銀10万両を贈ること」を条件に和平を得た。これにより、宋では百年余り平和な時代が続き、宋学や詞などの様々な文化が花開いた。
明徳の和約
1392年(明徳3年)、日本。室町幕府の足利義満と南朝の後亀山天皇が、「三種の神器の北朝への譲渡や両統迭立を条件に南北朝の統一を行う」ことを定めた。しかし幕府は、神器を譲渡する儀式を省略し、さらに両統迭立も反故にした。そのため南朝勢力は後南朝として15世紀後半まで抵抗をつづけた。
トルデシリャス条約
1494年6月7日調印、スペイン・Tordesillas。「西経46度37分の子午線より東の新領地はポルトガル、西の新領地はスペイン領とする。」ことを定めた。
ローマ教皇の仲介によるため、この子午線を教皇子午線という。また、1529年には、東経144度30分を第二の境界とするサラゴサ条約が締結された。
アウクスブルクの和議
1555年9月25日議決、独・Augsburg。「領主の宗教がその土地の宗教」という形で、プロテスタントの信仰が認められた。しかし、新旧両教派の対立は残ったままで、後の三十年戦争につながる。
ウェストファリア条約
1648年10月24日、独・Wastfalen。三十年戦争の講和条約。プロテスタントの信仰が認められ、新旧両教派の対立が終わった。また、神聖ローマ帝国内の諸侯が独立した領邦となり、帝国は形骸化した。そのため、「神聖ローマ帝国の死亡証明書」ともいわれる。
フォンテーヌブロー条約
1814年4月16日締結、仏・Fontainebleau。対仏大同盟により陥落したパリの郊外で、ナポレオン1世の退位とエルバ島に追放することを定めた。しかし、翌年にはウィーン会議開催中のヨーロッパに戻り皇帝に復位する。
南京条約
1842年8月29日署名、中国・南京。アヘン戦争の講和条約。
イギリスの代表はポッティンジャー(後の香港総督)、清の代表は耆英(きえい1787~1858, 欽差大臣)。香港の割譲、広州・福州・厦門・寧波・上海の開港などを定めた。その1年後には、領事裁判権、片務的最恵国待遇、関税自主権喪失を定めた虎門寨追加条約が締結された。
北京条約/天津条約
日米和親条約
1854年1月16日。別名神奈川条約。日本側の代表は林復斎(1801~1859, 儒学者)、アメリカ側の代表はマシュー・ペリー(Matthew Perry, 1794~1858, 軍人)。下田・箱館の開港、領事の駐在、片務的最恵国待遇などを定めた。
日米修好通商条約
1858年6月19日。日本側の代表は井上清直(1809~1868)・岩瀬忠震(1818~1861)、アメリカ側の代表はタウンゼント・ハリス(Townsend Harris, 1804~1878, 日本総領事)。横浜・長崎・新潟・神戸の開港と下田の閉鎖、領事裁判権、関税自主権喪失などを定めた。朝廷は調印を認めず、それを支持する尊王攘夷が拡大したため、大老の井伊直弼(1815~1860)はこれを弾圧した(安政の大獄)。
サン=ステファノ条約
1878年3月3日、トルコ・San Stefano。露土戦争の講和条約。ルーマニア、セルビア、モンテネグロの独立とブルガリアの自治権獲得を定めた。これによってパン=スラヴ主義が大きく前進するが、イギリス、オーストリアが反発、ドイツの仲裁によってロシアの南下政策は抑えられた。これによって、ロシアとドイツの関係が悪化し、三国同盟締結の遠因となる。
下関条約
1895年4月17日、日本・下関の旅館春帆楼。日清戦争の講和条約。日本側の代表は伊藤博文(1841~1909, 首相)、清側の代表は李鴻章(1823~1901, 欽差大臣)。朝鮮の独立、遼東半島・台湾・澎湖諸島の割譲、賠償金2億両(=現在の3億円)の支払いなどを定めたが、遼東半島は三国干渉(露・仏・独)により清に還付される。
ポーツマス条約
1895年9月5日、米・Portsmouth。日露戦争の講和条約。日本側の代表は小村寿太郎(1855~1911, 外相)、ロシア側の代表はウィッテ(Sergei Witte, 1849~1915, 首相)で、セオドア・ルーズベルト(Theodore Roosevelt, 1858~1919)米大統領の斡旋による。韓国に対する保護権、遼東半島南部(=関東州)の租借権、南満州鉄道の利権、北緯50度以南の樺太、を日本に譲渡することを定めた。
賠償金がなかったことで日比谷焼き討ち事件が発生した。
ブレスト=リトフスク条約
1918年、露(現ベラルーシ)・Brest-Litovsk。第一次世界大戦の講和条約の一つ。ロシア側の代表はトロツキー(1879~1940 政治家・革命家)、ドイツ側の代表はホフマン(Max Hoffmann 1869~1927軍人)。ロシアは独・墺・ブルガリア・トルコの四か国と、ポーランド、バルト三国、ウクライナの一部などを割譲することを条件に停戦。のちヴェルサイユ条約で失効。
ヴェルサイユ条約
1919年6月28日、仏・Versailles。第一次世界大戦における連合国とドイツの講和条約。パリ講和会議で定められた。ドイツの全海外領土とアルザス(エルザス)、ロレーヌ(ロートリンゲン)、ポーランド回廊などを失い、ライン川左岸の武双禁止、独墺合併(アンシュルス)の禁止、ダンツィヒ(グダニスク)の自由都市化、軍備制限および1320億金マルク(約200兆円)の賠償を定めた。
フランスの普仏戦争の報復という面が強かった。
サン=ジェルマン条約
1919年9月10日、仏・Saint-Germain-en-Laye(パリ郊外)。第一次世界大戦における連合国とオーストリアの講和条約。ハンガリー、チェコスロバキア、セルビア、クロアチア、スロベニアの独立の承認、「未回収のイタリア」(チロル、トリエステ)をイタリアに返還、独との合併(アンシュルス)の禁止などを定めた。
ローザンヌ条約
1923年7月23日、スイス・Lausanne。第一次世界大戦における連合国とトルコの講和条約。ムスタファ・ケマル・アタテュルク率いる大国民議会は、セーヴル条約を締結したオスマン帝国政府を打倒し、攻め込んできたギリシャを撃退したことで、セーヴル条約に代わる講和条約として成立した。トルコ共和国の承認、エジプト、スーダン、キプロスなどの割譲、クルド人、アルメニアの独立取り消しなどを定めた。
ワシントン海軍軍縮条約
1922年2月6日、米・Washington D.C.。
米:ヒューズ国務長官(Charls E Hughes, 1862~1948)
英:バルフォア枢密院議長(Arthur Balfour, 1848~1930)
日:加藤友三郎外相(1861~1923)
伊:シャンツァー外相(Carlo Schanzer, 1865~1953)
仏:サロー外相(Albert Sarraut, 1872~1962)。
ハーディング米大統領(Warren Harding 1865~1923)の提案による。主力艦の総排水量比率を米・英・日・仏・伊=5:5:3:1.67:1.67と定めた。ここからロンドン海軍軍縮条約までの建艦に制限が加えられた約15年間を海軍休日という。日本は戦艦陸奥の廃艦を余儀なくされたが、イギリス海軍の縮小などにより相対的に海軍の地位が上がった。
ラテラノ条約
1929年2月11日、伊・San Giovanni in Laterano大聖堂(ローマ)。ムッソリーニ(Benito Mussolini, 1883~1945, 伊, 政治家)、ピウス11世(Pius XI 本名:Achille Ratti, 1857~1939, 墺, ローマ教皇)。ファシスト党のムッソリーニが国際的地位向上のために締結した。教皇庁のあるバチカン一帯をバチカン市国として独立させ、永世中立・内政不干渉であることを定めた。
ロンドン海軍軍縮条約
1930年4月22日、英・London。
英:マクドナルド首相(Ramsey MacDonald, 1866~1937)
米:スティムソン国務長官(Henry Stimson, 1867~1950)
日:若槻礼次郎外相(1866~1949)。
マクドナルド英首相の提案による。補助艦の比率を米・英・日=10:10:7、主力艦の比率を米・英・日=15:15:9とすることを定めた。日本の軍部や右翼はこれを統帥権干犯(天皇の指揮権を制限している)として反発、時の首相浜口雄幸を襲撃する事件が発生した。また、海軍は軍縮を受け入れる条約派と反対する艦隊派に分裂することになった。
サンフランシスコ平和条約
1951年9月8日調印、1952年4月28日、米・San Francisco。日本と連合国48か国との平和条約。日本の独立と、台湾や朝鮮などの放棄、および国連への加盟などを定める。連合国の中にはソ連、中華民国、中華人民共和国などは加わらなかった。同時に、日米安全保障条約が調印された。
ウィーン条約
正式名称は「外交関係に関するウィーン条約」。1961年4月18日署名、1964年4月24日発効、墺・Wien。外交特権について定める。具体的には、使節団の任務(3条)、ペルソナ・ノン・グラータ(9条)、使節団の公館の不可侵(22条)、外交官の身体の不可侵(29条)など。
ラムサール条約
正式名称は「特に水鳥の生息地として国際的に重要な湿地に関する条約」。1971年2月2日、イラン・Ramsar。登録地数は2400か所以上。日本には釧路湿原、琵琶湖、尾瀬など53か所。
ワシントン条約
正式名称は「絶滅のおそれのある野生動植物の種の国際取引に関する条約」。1973年3月3日、米・Washington。英語名のConvention on International Trade in Endangered Species of Wild Fauna and Floraの頭文字をとってCITESと呼ばれることもある。
バーゼル条約
正式には「有害廃棄物の国境を越える移動及びその処分の規制に関するバーゼル条約」。1989年3月22日署名、1992年5月5日発効、スイス・Basel。先進国が有害物質を発展途上国に不法投棄することを防止するために締結された。
マーストリヒト条約
正式には「欧州連合条約」。1992年12月9日採択、1993年11月1日発効、蘭・Maastricht。欧州連合(EU)を創設し、共通通貨ユーロの導入と3つの柱構造(欧州共同体、共通外交・安全保障、警察・刑事司法協力)を定めた。
リスボン条約(2007年12月13日署名、2009年12月1日発効、葡・Lisbon)により修正。
CTBT
包括的核実験禁止条約(Comprehensive nuclear Test Ban Treaty)の略。1996年9月10日に採択されたが核保有国の批准がないため未発効。日本は1997年7月8日に批准。
オタワ条約
正式には「対人地雷の使用、貯蔵、生産及び移譲の禁止並びに廃棄に関する条約」。1997年9月18日採択、1999年3月1日発効、加・Oslo。
条約採択に貢献したICBL(地雷禁止国際キャンペーン)は1997年にノーベル平和賞受賞。